
十一、 6/5教えざれば禽獣の如し

昨今、新聞、テレビを賑やかしている事件にキレルなる言葉有り。
何故こうなったのか私なりに考察してみる。
世の中には、枠と器なるもの有り。
劇物(硫酸、硝酸、塩酸等)は瓶という器に密封されている。
一般物は箱のような枠で梱包されている。
四書五経の小学なる書物の中に「小児は教えざれば禽獣の如し」との言葉有り。
禽獣なれば、器に入れて飼い馴らして後に枠に放たなければ、
禽獣のまま大きくなり、枠までも崩壊してしまう。
彼等は幼少の頃から器なるものに入れられる事もなく育ったがために、
大まかな枠の存在までも目障りになり破壊したくなるのではないか?
枠とは社会に於ける外的規範であり、器とは個人の内的規範である!
両方とも崩壊してしまえば、社会がこのようになるのも合点がいく。
確かに、個性を尊重し過ぎれば器は不要であるが、それ故に枠までも不要とは?
福島 章氏(上智大学教授、精神医学)が「天才とはあるべき人間の全体!
つまり全人格的な存在が天才で、凡人である我々はその一部しか生きていない。
正気と狂気という単位でいうと、正気の部分しか生きていない。
天才はスーパー・ノーマルで沢山の狂気も正常も同時に生きられる」
天才はいかなる器に閉じ込めようとも、必ず器を破壊するか、
それとも時を経けて溶出してくる。
個性とは、膨大なる才能だ。同じ事を何十年も続けられるのが才能!
凡人である我々にはそのような才はない
すぐに飽きて次に向かうのは本当の個性ではなく、唯の我が儘!
器を持たぬ親が育てた子がこのような事をするのも頷ける。
器とは容器(鞭)ではなく子供に教えて納得させられる、言葉と行為。